安土城石垣に反りはあったのか、安土城跡で現地調査した前回の続編です。今回は安土城から程近い八幡山城で安土城築城の手がかりを探します。

安土城天主台石垣「反り」を探しに 続編

安土城再建を夢見る会 副理事長 小川 守

当会は、現在までに出されている様々な安土城の復元案の内、内藤案が最も真実に近いという認識を持っている。内藤案に対するいくつかの反論の中で、天主二層目(一階)が天主台から一間近くはみ出すという指摘がある。内藤氏は、石垣に「反り」に近い積み方はあったとの仮説でそれを補ったが(※1)、学説では当時の石垣には「反りは無かった」というのが一般に通っているためである。天正文禄期(安土城直後、秀吉の大坂城の時代)の石垣の構築技術を伝えるものとして、『石垣築様目録』という史料があり、近年 名古屋工業大学名誉教授の河田氏が内藤案の裏付けを行っている(※2)。しかし、結論にはまだ至っていない状況だ。

当会でも、石垣の反りの技術的検証として、上方へ向けて幾段か勾配を変えて積みあげる可能性があることを過去に示した。しかしながら、先日の安土城跡での調査では、それを明確な形で見つけることができなかった(※3)

安土城築城を起点として、石垣の技術は猛烈なスピードで進化していったことは事実である。それ故に、当時から石垣の反りの試行はあったと考えており、その手掛かりとなるものを探し続けていた。そこで今回、安土山の近くにある八幡山城を対象にしてみたのである。

秀吉は、1585年に安土城廃城を決定した後、近江八幡の八幡山に甥の秀次が入るための城造りを自ら手掛けている。本能寺の変からわずか3年後のことだ。年代的には大きな開きがないので、当時の石垣が残っていれば参考になると思った。

現在、山頂の本丸跡には瑞龍寺(村雲御所)が建っており、秀次の菩提を今でも弔っている。秀次の生母、秀吉の姉でもある智が京都の嵯峨で創建したもので、代々皇女や公家の娘を貫主として迎えていたが、現在は尼僧の方がお守りされている。建物自体は江戸時代に京都の西陣へ移築され、昭和になってここへ再移築された経緯がある。

秀次は八幡山入城後、1590年に尾張の清州へ移封されている。その後に京極高次が入っているのだが、山上部はその時に増築がされており、石垣は初期の形が残っていない可能性が高いらしい。一説によると、「倭城」の石積みの特徴があり、秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)の後に築かれたという可能性もあるとのこと。「倭城」とは秀吉軍によって朝鮮で築かれた石垣の様式で、隅角部で縦に長い石を置く方式だ(※4)

一方、麓にある「秀次館」と称される部分は、秀次の高野山での自刃後徹底して破壊されているものの、石垣の保存状態は良いらしい。発掘調査の結果、ここから秀吉の金箔瓦も出土しており、秀次の屋敷跡と確定されている。後年の人の手も入っていないことも判明しており、秀吉の時代の石垣の可能性が高いのである(※5)

結果、安土城の天主台ほど高くはないが、「反り」と言える湾曲を確認することができた。また、上部はほぼ垂直に立ち上がっていることも見て取れる。大型の石を用いた立派な石垣で、模様積みと言われる意匠であり、安土城でもこの様式が採用されている。これらは、安土城の石垣の反りに対する傍証と言えるのではないだろうか。

写真でその雰囲気が読者の方々に伝われば幸いだ。

ここで、話を少し変えて岡山城(慶長2年 1597年築城)についてみてみたい。

岡山城は安土城に最も近い城とも言われており、秀吉の子飼いであった宇喜多秀家の力作でもある。宇喜多家には、前田利家の娘で秀吉の養女となった豪姫が嫁いでおり、その関係から、安土城天主を手掛けた大工が築城に関わっていたとも言われている。その天守台は穴太の石工によるものとされ、よく見ると、上面付近は勾配を変えて少し反っているのが見える。石垣は野面積みの特徴よろしく、戦国期の荒々しさが良く出ている。

石垣の技術は突然でき上るものではなく、経験の積重ねによる賜物だ。岡山城は安土城からおよそ15年後のものではあるが、安土城そして秀次館と通して観ることで、石垣構築における「反り」の変遷が垣間見えるようで興味深いものがある。

秀次館は、以前は竹藪で覆われ、立ち入ることが難しかったようである。最近では地元の方々による保存が進んでおりアクセスが非常に良くなっている。石垣ファンには隠れた名所かも知れない。時代劇のロケ地で有名な八幡掘りから歩いて5分程度のところ。瑞龍寺のある山頂へはロープウエーがありとても便利だ。山頂から、出丸や北の丸の郭に至る道も整備されており、ここからは琵琶湖や安土山も一望できる。夏場は涼しい風が吹くため気持ちがよく、お薦めのスポットだ。

(※1):内藤昌著 復元安土城 講談社

(※2):建築学会2021年度大会 池上家伝来『天守指図』の信憑性 河田克博、清水隆宏

(※3):当会報告 粟田建設訪問記 2023/1/16、安土城天主台石垣の「反り」を探しに 2023/2/18 小川守

(※4):土木学会第65回年次学術講演会(平成22年9月) 石垣の安定性に着目した倭城の構築方法の一考察 山本浩之、笠 博義、西形達明、西田一彦、羅 東旭、和田行雄

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2010/65-04/65-04-0001.pdf

(※5):埋蔵文化財活用ブックレット12 (近江の城郭7)八幡山城跡

刊行:平成23年9月12日、 編集:滋賀県教育委員会・近江八幡市教育委員会

制作・刊行:滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042777.pdf

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